業界研究をしない業界
今日は少し、生命保険業界の歴史を振り返ってみたいと思う。自分の業界には、どういう流れがあって今日に至るのか。普通に仕事していたら興味が湧いて当然なはずなんですけど、「業界研究」ってしないんですよね、生保セールスって。自分の会社のことを少し知っているくらいで、競合他社の動向は気にならないという 笑。気にならないというか気にはなるけど、別にそれを知ったところで保険が売れるわけではないし・・・というのが本音かな。だから、知ろうとしない、知る必要もないと言ったところなのかもしれません。知っているのと知らないのとでは大違い!・・・なのに教える人が少ないのも事実なんです。教わっていないんだから、教えようがないということですね。
僕は全然そんなことはなくって、自分が今いる立ち位置を知るためには必須要素だと思います。運動場の広さがわからないのに、とりあえず走ろう!とはならないはずなんですよ。ましてや、ブログのタイトルに”令和時代”と入っているんだから、昭和や平成の動向はおさえておかなくては。
保険を見直す際も、今自分が加入している保険がどの時点のものなのかを頭に入れておくと整理しやすいと思いますよ。もちろん、「古い契約が悪くて、新しいのが善い」なんてことは言いません。そんなのはド素人の戯言ですから。そこは誤解なきように。
激動の1997年
1997年(平成9年)というのは、僕が中学生の頃でした。物心はとっくについていたんで、その年に起こった出来事はうっすらと記憶に残っています。主要な国内ニュースでいうと、山一証券の自主廃業、神戸連続児童殺傷事件、消費税5%スタートなどですね。サッカーが好きな方なら、W杯に初出場を決めたのもこの年でした(ジョホールバルの歓喜、でしたか)。海外に目を向けてみると、香港が英国から中国に返還されたんですよね。ダイアナ妃が交通事故で亡くなったのも同じ年でした。
たったこれだけでも色々あったなぁと思うんですが、実は生命保険業界でも色々あったんですよ。大転換期といってもいいくらいです。
主に3つあげると、
1.生損保乗り入れ
2.戦後初の破綻
3.順位の大変動
ですね。
1.生損保乗り入れ
これは今ではあたりまえになっちゃってますが、当時はものすごくインパクトのある話でした。というのは、それまでは生命保険を売っている会社は28社だったんですが、それがいきなり44社に増えた。「○○生命」のようなメーカーだけでですよ。もっと強烈なのは、損害保険系の会社が入ってきたということは、その下にごまんとある販売代理店でも生命保険を売れるようになったということなんです。
2.戦後初の破綻
バブル崩壊の影響を受けて、日産生命という生命保険会社が倒産してしまいました。生命保険会社の破綻はこれが戦後初めて、それから続々と同じ目に遭う会社がでてくるわけです。国内系の会社がバタバタと倒れていくのを尻目に、外資系が幅をきかせていくのは言うまでもありません。
日産生命保険の破綻を皮切りに、東邦生命保険→大正生命保険→千代田生命保険→協栄生命保険→東京生命保険→第百生命と、2000年までに生命保険会社7社の経営破綻が立て続けに起こりました。まさにドミノですよ。
ちなみに、現在のマニュライフ生命の前身は第百生命だし、ジブラルタル生命は協栄生命が前身です。
3.順位の大変動
それまではずっと「1位.日本生命、2位.第一生命」というのは順番で、その後にずらりと並んでいる会社も変わりませんでしたが、 97年くらいから順位が動くようになったんです。いわゆる外資系が上位に名を連ねるようになったのもこの頃ですね。
振り返ってみると・・・
元来、保険加入の接点は国内社の営業職員さん(いわゆるセールスレディー)が担っていましたが、そこに外資系が黒船としてやってきて、保険を含めたファイナンシャルプランを設計する営業スタイル(コンサルティングビジネス)が台頭してきたんですよ。実際は97年より少し前からなんですが、それまでは女性が中心だったところに、パリッとしたスーツ姿の男が保険を売るようになった。弁当箱みたいな分厚いパソコンでプレゼンするんですよ。20数年後の現代からすれば、笑いのネタでしかないんですけど、当時はセンセーショナルだったと思いますよ。
こう見てくると、奇しくも1997年というのは業界内のくすぶっていた火種が爆発した年なんですね。こういった情報は頭に入れておいて損はないはずです。きちんと認識できている保険営業マンは数少ないので。
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